「育児」カテゴリーアーカイブ

無駄な経験はない。ただし、そこから学習していれば、だけど。

最近、「ホント無駄な経験ってないな」というのを実感しています。かつて経験した、その時は「なんで自分がこんな目に…」と思っていたことが今になって活きたり、逆に経験の機会もあったのだけど他人任せにしていたことが「あの時やっておけば今もっとやりやすかったかも」と思ったりします。

「経験が活きている」と一番思うのは、修羅場と、いろいろな人と接してきたことです。簡単に言うと、これまで経験してきた修羅場のレベルまでなら、かなりてんぱっていても本質を見失わずに行けます。ぎりぎりのところで我に返るというか。特に僕は本来は想定外に弱いタイプなので、これが役に立っています。

人については、僕はけっして社交的ではないのですが、わりと深く人と関わるタイプなので、いろいろな人が「なぜそのように動くのか」を学んでいるようです。

一方で、自分のやりたいこと・得意なことに集中しがちなタイプなので、他のことは人任せになっていて、今になって「あの時やっていれば今使えたなあ」と思うことがあります。ただ、そういうことには身が入らないので、まあ仕方がないのかもしれません。

あと、経験しているだけでは足りなくて、そこから学習している必要があります。同じ間違いを繰り返す人は学習していないということでしょう。また経験した後、整理しておかないと忘れてしまいますし、応用が効きませんね。

全部を自分でやらなくていいやり方

なんか最近、自分の得意なこと・不得意なこと、やりたい仕事・やりたくない仕事がはっきりして来ている気がします。

一方、○○責任者とか○○担当とか、家庭でも親とかなっていると、その中に含まれることは全部やらないとならないように思いがちです。

でも、本当はそんな必要はなくて、苦手なところは人の助けをどんどん借り、逆に自分の得意なことは苦手な人を助けに行けば良いのでは、とも、最近思い始めています。今年、SACAがすごくいい感じで動いているのは、これも関連しているかもしれません。

そうすると大事なのはビジョンで、共感できるビジョンを持っていて本気でそれに取り組んでいる人には助けに行きたくなる、ということかな、と。

あともう一つ、それを持続可能にする仕組みが必要で、一時の気持ちだけでは最初は良くともどこかでガス欠になるなと。

1から10まで教えないのには理由がある

今週の「論理思考とリーダーシップ」の課題は「zipファイルで提出するように」としたのですが、zipファイルの作り方はこちらからは教えませんでした。経営学部の1年生ほぼ全員が、人に教わるか、自分で調べるかしなければならない、という状況に置かれたわけです。

これは教えるのを忘れたわけでも、いじわるをしているわけでもありません。1から10まで教えないのには、理由があります。それは、

「世の中にはそういうことはよくあるから、今から慣れておいて欲しい」

ということです。同じ理由で、論理思考の授業でありながら、言葉の使い方はけっこうアバウトです。同じことを表すのに時によって違う表現で言ったり、厳密には定義しなかったりします。

これも「世の中はそういうものだから」です。常に正確かつ同じ表現で言ってくれる上司もお客さんもめったにいません。論理思考もビジネス界では、そんな中で使わなければなりません。つまり「不完全な表現の中からでも、相手が本当に言いたいことを推測する」力が、論理思考を使う前提となったりします(この推測自体にもバリバリに論理思考を使うわけですが)。

もちろん教材においては、しっかり考えて行くと分かるようにはしますし、難しいところをやっている時はこの度合いを下げたりします。でも、実戦のアバウトさや不親切さに耐えうるようにしていくことは、欠かせないと思っています。

親は最高のリーダーシップ教育者になれる

今日はファザーリング・ジャパンさんで「その子の特性を活かす、全ての人のためのリーダーシップ教育」についてお話しさせていただきました。

「リーダーシップ教育のフロンティア」を執筆していた時、メインの対象である学校の先生方とは別に、実は「感度の高い親のみなさんにも読んでいただきたいな」と思っていました。子どもの頃にどういう育てられ方をしたかで、主体性や人とコラボる力、考える力などは大きく変わるからです。

なので今回、親のみなさん、しかも、小学生以下のお子さんを持った方々が主な対象ということで、自分としてもとても楽しみにしていたのでした。

やってみて、その期待通り、楽しいセッションになりました。質問やディスカッションの中から、みなさんが「本当の生きる力を子どもに身につけさせるには?」と考えておられることが伝わって来ました。ちなみにお休みの日ということでお子さんたちが会場の後ろの方で遊んでいたのも「現場感」がありました。^^

あと改めて思ったのは、子育てが適切なリーダーシップ教育になっていると、成長した時に「自分も周りも楽しくがんばれる環境」をつくれる人になるんじゃないかな、ということです。それはまず適切なリーダーシップ教育の根底には親の「その子を認め、特性を活かす」という考え方があるはずというのがあります。
そしてその考え方の上で、「自分で考える力」と「人とコラボる力」(我慢して一緒にいるのではなく)を高めることができたら、本人もいろいろなことに楽しく挑戦でき、また周りからも「一緒に何かやりたい人」と感じられるのではないかと。そんなことを感じた一日でした。

あなたが好き、あなたがいてよかった

最近、いわゆるトップ校のとても優秀な学生たちにインパクト体験棚卸し(自分を作って来た体験の棚卸し)をやってもらって気がついたことがあります。それは、こういう人たちの中にも自己肯定感の低い人たちが、思っていた以上に多いこと。

自己肯定感が低いというと、能力面で「自分は負け組だから」とか「何もとりえがない」と思っているイメージがあると思います。また実際にそういう面はあると思います。偏差値偏重教育で来ていると、「勉強」が全てみたいに見えてしまうので、それで勝てない自分はダメだと。序列意識が強いと「一番じゃなきゃダメなんです!」となってしまって、世間的にはとても高い位置にいる人ですら自己肯定感が低いこともありえます。

しかし、自己肯定感に影響するのは能力だけではありません。人間関係面の自己肯定感もあります。「勉強はできるけれども、友だちづきあいは苦手」とか「誰かに愛される自信がない」とか。

優秀な人達の中にはけっこう、親から「厳しい」扱いを受けてきた人がいるように思います。「おまえはダメだ」「なぜおまえは…」と言われる時に感じるのは、能力面の否定というよりも「自分は親に愛されていないのでは?」という不安です。
彼らはまた、教師の想定を超えた行動・態度を取るために、教師からいじめられたり無視されることがあります。また同級生とも話が合わなくて、別にいじめられるわけではなくとも「自分と関わりたい人は誰もいない」と感じたりします。そしてだからこそ、自分が認められる勉強の世界にのめり込んで結果を出す人たちもいます。今回もその戦いの歴史をかいま見て、なんとも言えない気分になりました。

もちろん優秀な人たちみんながそうだというわけではありません。上のような人たちはたぶん少数派です。ただ、思っていたよりいそうなことを今回感じました。

だからなんだ、というのはまだ難しいところです。「それでもその人達は優秀なんだから恵まれているよ」という声があるとしたら、能力面も人間関係面も自己肯定感を持てない人に比べたら確かにそうです。でも、能力がどうであろうが、誰かが「あなたが好き」とか「あなたがいてよかった」と思っていることは、人にとって非常に大事なことだし、そう感じられる人が増えていくように社会を動かして行きたいとは思います。

イクボス式教育第1回フォーラム

きのうはコヂカラ・ニッポンさんの「イクボス式教育第1回フォーラム」で講演者およびパネリストとして登壇させてもらいました。これからの社会でどういう人が求められているのか、それに対して親はどう子育てをして行くべきかを考えるというもので、とても興味深くかつ今後に示唆のある機会でした。
まず印象的だったのは、青野慶久さん(サイボウズ 代表取締役社長)と高倉千春さん(味の素 人財マネジメント部長)から「ビジネス界で求められる人材」ということで話された内容が、ものすごく重なっていたことです。それは、多様性に対応できることであり、自分の考えを持てることであり、生産的に議論できることでした。
またそれは僕が「立教のリーダーシップ教育で伸ばそうとしていること」として話そうと思っていた内容と非常に重なっていたので、ちょっとびっくりしました。もちろん社会でこれから必要なことを身につけてもらおうとやっているので重なるのは自然なのだけど、そこまで重なるとは正直思っていなかったのでした(その理由は後述)。
さらに実は、コヂカラ・ニッポン代表の川島高之さんが提示された「イクボス式教育の定義と10ヵ条」もすごく重なっていました(写真)。僕の後に話されたコヂカラ・ニッポンの中原久子さん、林田香織さんの活動紹介からも、そういう子育てを地域ぐるみでやろうとしていることがよく伝わって来ました。
それだけ考えていることが重なっているならどんどん進めて行くだけでは?となりそうですが、そこが一筋縄では行かないし、それをどうするのかというのが、第二部のパネルディスカッションのテーマだったのだと思います。モデレータの浜田敬子さん(AERA前編集長)からいきなり投げかけられた「さっきの話は理想だと思いますが、実際にみなさん家庭でもやっておられますか?」という問いはその皮切りだったと思います。家庭だけでなく学校でも会社でも難しい。本当にやっているか?と言われるとまだまだな部分も多いと思います。
例えば「多様性に対応しよう」と言いつつ、自分と違う価値観や行動パターンを受け入れるのは難しいものです。また「考えられるようになって欲しい」「主体的に動けるようになって欲しい」と思いつつ、(良かれと思って)「○○しなさい」と具体的に言いまくって考える余地もヒマもなくしてしまっている恐れもあります。つまり、この方向に向かうには、けっこう本能や感情に逆らうことをやらないとならないわけです。しかも忙しすぎる現代人には「聴く」とか「待つ」とか「共感する」というのは「とてもそんな時間ない」となりがちです。
じゃあ、どうやってこれを乗り越えるのか? 僕自身がその場で得たヒントとしては、「応援する」こと。これは飛び入りでパネリストとして参加された生重幸恵さん(スクール・アドバイス・ネットワーク 理事長)が「学校に行って先生を応援して欲しい」と言われていたことから思ったことです。自分のことばかり考えたりやったりしているんじゃなくて人を応援していると、忙しいはずなのに不思議と気持ちに余裕が出て来て「本当は(自分で)やらなくてもいいことも多いんじゃないかな」と見えてきたりします。「許せないな!」と思うことも「本質を共有できていればいいんじゃないの?」と見えて来たりもします。
あとどなたか言われていた「頼る」こともいいなと改めて思いました。リーダーシップとはよく人を巻き込むことと言われますが「頼ることだ」という見方もできます。それは周りのリーダーシップを引き出すことにもつながるので、命令するとか伝達するとかじゃなく、気持ちを込めて頼る、と。安藤哲也さん(コヂカラ・ニッポン理事)は「楽しむ」をキーワードに「僕は前世がイタリア人なんで…」と会場の笑いを取られていましたが、日本人としては「おかげさまで」をアップグレードして行くのも良いかなと。笑

考えずに覚えてはいけない

長男(小3)の勉強を見ていたら、

「1つのもの(こと)の変化を表すときには、上のような(     )で表すとよくわかります。」

という問題が出て来ました。答えは「折れ線グラフ」で、彼は解答例と同じ答えを選んでいました。重要なのは「棒グラフ」ではなくて「折れ線グラフ」だというところのようです。そこで「なんで折れ線グラフだとよくわかるんだろう?」と聞いたら、「タブレット先生がなんだか説明していた気がするけど忘れた」と返ってきました。

うーん…「忘れた」か…自分では考えたのかな? と心の中でうなって、彼に話しました。「そんなことは忘れてしまって全然いいんだよ。というか、覚えようとしちゃいけない。覚えたって意味がない。考えて「そうだな」と思えるかどうかが重要。自分で考えるんだよ。「わかりやすいって、どうしてわかりやすいんだ?」って。

そして、一緒に考えて、「線がつながっているから、上がっているとか下がっているとかいう変化が分かりやすいということかな?」となりました。これは彼と僕で立てた仮説で、覚えた「正解」ではありません。

彼の勉強を僕が見ている意義は、この「なんで?攻撃」を仕掛けることと、考えもせずに「覚える」なんて勉強の仕方を身につけさせないところにありそうです。

冷やし中華作りでアクティブラーニング

今日は昼、妻が出かけていたので、長男(小3)と二人で冷やし中華を作って食べました。せっかく一緒にいるので、頭を使わせてみるか、と思うのは職業病ですね。^^

麺をゆでるお湯を沸かす時に鍋にふたをして「なんで、ふたをするんだと思う?」と、彼に質問。「熱が逃げないから?」と返ってきたのに対して「正解!どうしてそうだといい?」「速くお湯が沸く?」「そうだねー!」

まだまだ続きます。「キュウリを切るのと卵を焼くのとどちらを先にやるといいと思う?」「卵?」「なんで?」「なんとなくそう思ったから」「答えは合っているけど理由もちゃんとあるよ。ヒントは、焼いた卵は熱い!」「さます時間がいるから?」「そう!」

「麺を入れて」「入れたらふたを閉めないんだね」「そうだね」「どうしてだと思う?」「吹きこぼれるから?」「そう!よく知ってるね」「わー、それでも吹いてきた!」「どうすればいいと思う?」「わかんないー! わーこぼれる!」「火を弱くすればいいんだねー」(火を弱めつつ)
といった調子です。

僕は子どもの遊びにつきあわうのはあまり得意ではないんですが、こんな形で接するならできるな、と改めて思いました。^^

道草が主目的?

13692545_1278227575550728_1581494233243156259_n次男と保育園に登園中…ですが、道草中です。というか、道草が歩いて登園する主目的です。「なんだこれ?」「どうなってるの?」と考える人になって欲しいので、彼が何かに目を留めて立ち止まったら、それはいいサインです。

今日は車のわだち。「ねえねえ硬いよ!触ってみて」と。触ってみると確かに硬いです。「ホントだ! …あれ?こっちとこっちは形が違うね」「ホントだ。こっちは広くてこっちは狭いね」

(今日は急いでいたので聞かなかったですが^^)「どうしてだろうね?」と聞いてみると、正しくはなくともけっこうロジカルな返事が返って来たりします。

 

忘れ物をしないより大事なこと

うちの長男(小3)は忘れ物王です。一緒にチェックしたりもするのですが、悩ましいのは持って行くものが複数ある時。普通はランドセルの横にでも置いておけば忘れずに持って行くと思いますが、ランドセルを持って行こうと思ったらランドセルしか見ていない彼はきれいに置き去りにします(親に似ている^^;)。それでこれまでは「こうしたら?」と具体策を言っていたのですが、今回は試しに考えさせてみました。

最初に出た案は、朝着る服の上に載せておくというもの。「それだと、服を着た後、出かけるまでにいろいろなことをやるから忘れて行くよね」と反論しました。

次に出て来たのは玄関に置いておくというもの。この方がベターですが、出かけることに夢中の彼は、やはり忘れて行きそう。ただ「うーん…」と反論しかけて、忘れ物を一日しないよりも、試行錯誤することを学ぶ方が重要だなと考えてやめ、「やってみたら」と言っておきました。

でも、後で彼がやってきて「靴と靴べらで組み合わせておいた!」と言ってきました。なんだかよく分からないので見に行ってみると、写真のような仕掛けを作っています。これはなかなか考えているなあと感心。その甲斐あってか、この時は忘れずに出かけたよう。他の物を忘れているかも知れませんが。

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