「言われないとやらない、自分で考えない」脱却に不可欠なもの


大学とか教育とかに限らず、何かを絶対やって欲しい、と思うと、「やらないとまずいことになる」という手をとりがちです。「3回欠席すると落第」とか。笑

人間には弱さがありますから、こういう強制力も必要だろうとは思います。僕自身「やりたい仕事」であっても大変だと、期限が細かく設定されているからなんとかやっている、とか時々なります。ぶつくさ言いながらなんとかクリアしていって最後まで到達し、やっぱりやってよかったな、と思うという。笑

ただ、この方策の根底にある「人は強制されないとやらない」という考え方だけで走っていると、やがて壁にぶつかります。「言われないとやらない」「自分で考えない」。「だからなかなか成長しない」、、、

ムチだけでなくアメを出しても、一緒です。アメがなければやらない。アメの分しかやらない。楽してアメをもらう方法だけは考える。笑

そういう状況を超えて「おもしろいからやる」「それそのものに価値を感じるからやる」「大変でも、がんばると成長できるからやる」となって欲しいと思うのですが、そのためには、何が必要なのか?

「体験」は大事ですよね。「考えてハードルを乗り越えるのっておもしろいな!」と実際に体験する、「これは確かにやる価値がある」と思う、「がんばったから成長できたんだ」と実感する。なので、そうなるように僕らは授業を設計しようとします。

でも、その時に重要なのは「人は条件が整えば必ずそう感じられるものだ」と信じることじゃないかな、と最近特に思います。

信じていないとつい「やるべきことは全てやるしかない」ように細かく課題を作ってしまいがちです。でも、だいたいそういう課題は設問がずらっと並んでいるように見えて「そそられない」し、「片付けるべきもの」にしか見えなかったりします。

むしろたった1つ「今日の学びをともだちに自慢するとしたら何を?」とかスライドに出ていた方が、量は少なくともちょっと自分で考えたものが出て来るのではないでしょうか。

「そんなもん、何もなかったよ」となったとしたら、それは授業内容/伝え方を確認し直すべきなのかもしれません。笑