論理思考で起きる「たたずまい」の変化?

きのうは、早稲田での初めてのクラスの、最終回でした。クオーター制なのでわずか8週間(毎回3時間)でしたが、なかなか深くて良い時間でした。
 
特にすごいなと思ったのは、たった8週間で大きく変化した人達がいたことです。論理思考のクラスなのでそれぞれの考える力は伸びているのですが、それ以上にたたずまいが変わったとでも言うのでしょうか。
 
例えばある人は「発表する時にノープレッシャーで話せた。以前の自分を考えるとびっくりするくらい」と振り返りに書いていました。能力的に伸びた自信もあるでしょうが、おそらくそれ以上に大きいのは「自分と聞き手たちは対話をできるはずだ」という感覚を持てるようになったからではないかと思います。
 
あるいは、発言の内容が最初とはぐっと変わった人達もいました。ある人は、最初からとてもレスポンスよく発言できていたのですが当時は思いついたことをぱっと言っている感じでした。それが最終回には「ここで何を言うと自分たちは先に進めるのか」を考えて発言するようになっていました。
 
また別の人は、すごく明るくなりました。最初からとても熱心だったのですが途中で話が見えなくなったり、みんなの感覚と合わないことに引っかかってしまって最初の頃はそのたびに表情が曇っていました。しかし、最後は修士楽しそうにしていました。それは(おそらく)「人と自分の感覚は違うこともありうる。それ自体は問題じゃない」と割り切れたり「分からない時は聞けばいい」と切り替えたりしてきた成果だと思います。
 
「論理思考とリーダーシップ」のクラスなのに、なんでそういう「たたずまい」の変化が起きたのかと考えてみると、次のようなことではないかと思っています。ことリーダーシップに関連する論理思考では「人はどうなると動くのか?」(自分を含む)、もっと言えば「人についてどう捉えて行ったらよいのか」を考えることがしばしば起きます。そうするうちに、自分の世界観・人間観が(特に若い人の中では)少し変わって行くのではないか、ちょっとおおげさかもしれませんが、そんな可能性もあるのでは、と思いました。

飲み会や食事会では仲良くなれない人たちの場合は

SAたちと面談をしていた中で「うちのクラス、みんなまじめだし、けっこう論理思考はよく分かっているんですけど、受講生同士の関わりがまだ少ないんですよねえ」という相談がありました。こういう時、典型的には「懇親会やろう」というのが出て来ます。社会人なら「飲みに行こう!」ですね。

それが効くことも、もちろんあります。ただ、「まじめだけど関わり合いが苦手」な人達の場合、この手はあまり効かない恐れがあります。なぜならこの人達はえてして

   雑談が苦手

だからです(僕もその一人です笑)。まだあまり親しくない人と他愛もない話をしなきゃならないというと、ゆううつになります。じゃあ、そういう場合はどうするか?

そのSAたちにアドバイスをしたのは、
1)力を合わせる用事を作る
2)話すテーマを出してあげる
ことでした。

まじめでちゃんと考えられる人達の場合、力を合わせなければならない用事を作ると一生懸命やるので、それで関わっているうちにお互いに打ち解けてきます。
仲が良い → 一緒にがんばる ではなく、
一緒に頑張る → 仲が良くなる ということです。

とは言いながらそれだけだとしばらくは硬かったりするので、それぞれの想いやこだわりを共有する機会を作ると、打ち解けるスピードが加速します。こういう人達は思っていることがないから黙っているのではなく、それを共有する機会がないから黙っているだけです。「話してよ」と言われて「ここなら話してもちゃんと聞いてもらえそうだ」と感じられると、静かにしかし熱く、語ってくれたりします。そこまでつっこんだテーマではなくとも、少なくとも何を話すか提示されているだけでもかなり楽だし、お互いの距離が近づくようなテーマならベストです(例えば「最近はまっていること」とか)。

なので、「雰囲気がカタイ」→「飲み会、食事会」のワンパターンではなく、「このタイプの人たちには何が合っているか」考えてやろう、というのがSAたちへのアドバイスでした。

なお、懇親会をやる場合に「話すテーマを出す」ことともう一つのアドバイスは「席替えを早めにしよう」というものでした。テーマについて話しきった後、雑談をするのはまた苦手な人達なので。笑

使える論理思考にはテキトーさが不可欠

おとといの「論理思考とリーダーシップ」クラス@早稲田では、グループディスカッションがなかなかいい感じになっていました。特に良かったのが、「良い意味でのテキトーさ」が出て来たことです。

「論理的に考える」というとなんでもかんでも「厳密に考えなきゃ」「本質に掘り下げなきゃ」となってしまって、議論が先に進まなくなってしまうことがよくあります。とりわけ早稲田生のように、主張することを苦にしない人が多いところでは起きやすい笑。

しかし実戦では、これでは時間がかかり過ぎますし、議論が苦手な人は嫌になって離れていき、こちらは「理屈ばかりこねるうるさい奴」認定されてしまいます。

そこで、「だいたいでスタートする」「大事なところ以外はこだわらない」といった、良い意味でのテキトーさが必要になります。

ただし、全部テキトーになってしまっては、もう論理思考ではありません笑。そこで
・ざっくりした目的は押さえて忘れない
・今進むために必要な最低限を見極める
・本質に関わる違いは見逃さない
・必要を感じたら戻る心の準備を
というあたりを意識して行きます。

今回は20分という制限時間の中で、けっこういい成果を出してくれました。良い意味でのテキトーさと、大事なところはしっかり押さえる力と、さらには「分かりやすく伝える力」が備わってきている感じです。

同じ成果で「いい感じ!」と「まだまだです」では、どっちがいい?

今週はSAたちと中間面談をしています(30人!)。その中で「どう?」と聞くと、大きく分けて二つのタイプの答えが返って来ます。

一つは「楽しいです! 大変だけど、自分も成長できている感じがしますし、受講生も伸びていると感じるので」というタイプ。そしてもう一つは「なかなか難しいですね。思うように動けなくて」というタイプ。

では、この二つのタイプでやれているレベルが違うかというと、実は全然違いません。もちろん人によって違いはあるのですが、少なくともこの反応の分かれ方と仕事ぶりは、あまり関係ありません。あくまで、全員が元々モチベーションの高いメンバーだからという特殊事情はありますが。

どういうことかというと、前者の人達は加点方式、あるいは起こせた変化で物事を見ていて、前進していればポジティブに捉えています。一方、後者の人達は、減点方式、あるいは目標(=自分に科したハードル)に対してどうかで見ています。しかもそれが完璧主義に近いので、「これができていない、あれができていない」とネガティブに捉えがちです。前者の人も自分に科しているハードルはちゃんと持っているのですが、そこまで完璧主義ではありません。

で、僕は彼らに前者の考え方で行くことを勧めています。理由は二つあります。一つ目は、その方が楽しく、長くやれるから。「これがやれた、こんな前進をした、良かった! 次はこれに挑戦したいなあ!」という感じです(一部の修行僧のような人達は別として)。二つ目は、その方が周りの人を巻き込みやすいから。ストイックな人をみんな尊敬はしますが「自分には無理」となりがちです。加点方式の方が多くの人を巻き込めます。

だからといって高い目標に挑戦しないわけではありません。僕自身はけっこう無茶な目標をチームに提示する方だと思います。でも、それは100点を目指すのではなく、ワクワクするような無茶を70点の完成度で達成しよう!という感じです。またそういうふうにできた時に、いいプロジェクトになっている気がします。

あなたが好き、あなたがいてよかった

最近、いわゆるトップ校のとても優秀な学生たちにインパクト体験棚卸し(自分を作って来た体験の棚卸し)をやってもらって気がついたことがあります。それは、こういう人たちの中にも自己肯定感の低い人たちが、思っていた以上に多いこと。

自己肯定感が低いというと、能力面で「自分は負け組だから」とか「何もとりえがない」と思っているイメージがあると思います。また実際にそういう面はあると思います。偏差値偏重教育で来ていると、「勉強」が全てみたいに見えてしまうので、それで勝てない自分はダメだと。序列意識が強いと「一番じゃなきゃダメなんです!」となってしまって、世間的にはとても高い位置にいる人ですら自己肯定感が低いこともありえます。

しかし、自己肯定感に影響するのは能力だけではありません。人間関係面の自己肯定感もあります。「勉強はできるけれども、友だちづきあいは苦手」とか「誰かに愛される自信がない」とか。

優秀な人達の中にはけっこう、親から「厳しい」扱いを受けてきた人がいるように思います。「おまえはダメだ」「なぜおまえは…」と言われる時に感じるのは、能力面の否定というよりも「自分は親に愛されていないのでは?」という不安です。
彼らはまた、教師の想定を超えた行動・態度を取るために、教師からいじめられたり無視されることがあります。また同級生とも話が合わなくて、別にいじめられるわけではなくとも「自分と関わりたい人は誰もいない」と感じたりします。そしてだからこそ、自分が認められる勉強の世界にのめり込んで結果を出す人たちもいます。今回もその戦いの歴史をかいま見て、なんとも言えない気分になりました。

もちろん優秀な人たちみんながそうだというわけではありません。上のような人たちはたぶん少数派です。ただ、思っていたよりいそうなことを今回感じました。

だからなんだ、というのはまだ難しいところです。「それでもその人達は優秀なんだから恵まれているよ」という声があるとしたら、能力面も人間関係面も自己肯定感を持てない人に比べたら確かにそうです。でも、能力がどうであろうが、誰かが「あなたが好き」とか「あなたがいてよかった」と思っていることは、人にとって非常に大事なことだし、そう感じられる人が増えていくように社会を動かして行きたいとは思います。