論理だけじゃなく感情に目を向けるべき」という本当の意味

きのうの授業で学生から出た「今のワークでの気付き」の中に、「論理だけじゃなく感情に目を向けるべき」というのがありました。その背景は次のような感じでした。

班のメンバーが考えて来たプロジェクト案を読んで「こうしたら?」と提案をしたのだけど、どうもしっくりいないみたいだった。そこで「何をしたいのか」をもう少し探る質問をしてみたら、プロジェクト案に書いてあったこととはちょっと違うものが見えて来た。それはただ言っている内容だけじゃなく、その時の表情とかから分かってきた。

この気付きはとても良いと思います。ただ、それは「論理だけじゃなく感情に目を向けるべき」というよりも、もっと適切な言い方があるな、とも思いました。例えば、

「言葉をうのみにしてはいけない」とか
「人は思っていることを表現できているとは限らない」
「言葉は人の思っていることのヒントに過ぎない」とか。

↑こういうことを言うと、「だから論理屋は嫌いなんだよ」とも言われそうですが笑、あえて言っておきたいのには理由があります。まずこの話を「論理の限界」の話にしてしまうと、状況がこじれた時は「考えるのを放棄する」ようになってしまう危険を感じるからです。

次に、「言葉は人の思っていることのヒントに過ぎない」と考えれば、そのヒントをとっかかりに本当のところを探っていくことができるからです(この学生がやってみたように)。

ま、論理屋の言葉に対するこだわり、という面もあるんですが。笑

大学教育研究フォーラムで登壇しました

大学教育研究フォーラムでにて、高校から大学、大学から大学院、大学から社会へのトランジションをテーマに行われたシンポジウムで、登壇させていただきました。僕は大学から社会へのトランジションをテーマに話させていただきました。

うまく伝えられていれば嬉しいと思うのはとりわけ、「血の通った仕組みを構築する」イメージです。制度だけでもうまくいかない、個人技だけでも発展しにくいわけで、人が気持ちを込めていけるような仕組みをどうやって作っているのか(作ろうとしているのか)をお伝えしたいと思って話していました。

19BLP運営合宿

2019年度スタート前のBLP運営合宿に行ってきました。

今年は二つの新しいことがありました。一つはデータを活用したクラスづくりが本格化したことです。例えばどういう受講生が伸びている(or伸びが鈍い)のかを見て、複数タイプの受講生を想定したクラス作りを考えるようになってきています。

もう一つは、これまでの蓄積を体系化したものと理論を踏まえて、運営の議論をしだしたことです。これには昨年出した本「リーダーシップ教育のフロンティア」が特に役立っています。世の中に知ってもらいたいと書いているわけですが実は自分たちが一番使っていそうです。^^

といったことは前進なのですが、これをやっていれば余裕で良いクラスが作れるわけじゃない、ということも改めて感じた合宿でした。現状維持の為ですら、強い想いに支えられた粘り強い思考と行動が必要なんだなと思いました。その点、教職員そしてSACAという熱い仲間がいることは恵まれているなとも思いました。

あと1つ。常に気をつけていないとならないと思ったのは、ただ楽しいクラスを僕らが用意しちゃったらダメだ、ということです。リーダーシップの授業なのだから、受講生がそういう場を作ることを学べるようにしないといけない、と。
最初は退屈に見えても、しんどくても
自分から動いて、本気でやって
人も巻き込んじゃえば
すごく楽しい場ひいては社会ができる
それをやる充実感ははんぱない、と
受講生が味をしめる
それを時間を掛けて徐々にやっていくのがリーダーシップ教育の一番大事なところじゃないか、と改めて今、思っています。

「勝って兜の緒を締めよ」って言うけど、その前にやった方がいいことがある

何かの研究に裏付けられているのかは調べていませんが、自分の経験や周りを見ていると思うところです。その前にやった方がいいこととは、

うれしさをかみしめる
自分(たち)の良かったことを確認する

ことです。なぜこれをしっかりやった方が良いかというと、一つには次へのエネルギーにつながるからです。うれしいことがあると人は元気になるのはもちろん、あのうれしさをもう一度味わいたいとしっかり思えることが、次なる挑戦に向かおうと思わせてくれたり、次のしんどい局面での力になります。

そして、「自分は、やれる」という感覚を持てることもあります。この感覚は自分から動き出せるようになる上でとても大事です。さらに実際に「やれる」ためのノウハウがちゃんと蓄積されることもあります。ただ「がんばったから」で終わらせず「でも、何が良かったのか」と考える、それでも見つからなければ「どうしてがんばれたのか」をノウハウとしたら良いと思います。

「でも、トップを目指す人は『そんな喜んでいる暇はない』とすぐ切り替えて次を目指すのでは?」という反論があるかもしれません。確かにそういう人も見ます。ただ、普通の人がこれをやると、だんだん疲れてしまったり、楽しくなくなってしまうと思うのです。本人ばかりか周りの人まで楽しくなくなってきます。それではなかなか人は巻き込めません。

また、「兜の緒を締める」ことばかり意識して育ってきた/育てられてきた人は、優秀なのに自分に自信がないのをよく見ます。「95点! あと5点が取れない自分はダメだ」という感じで自信がなくなり、取れなかった5点に注目ばかりしているので、自分の優れている点もあまりよく見えていません。そのせいか、とても優秀なのに、就活でも苦戦していたりします。

今日はちょうどSACAたちが先日の高校生BL1の振り返りをやっていたので、上のような話を少ししました。出来なかったことや気になったことはメモに残して後で使えるようにさえしておけば良いから、今日はそんな話をするよりもまず、どううれしかったとか、何が良かったのかを思い切り振り返ろうと。今、やり通して見えたことは何かを考えてみよう。あとは「次はどんなことができたらいいな!」と思うか「夢」を話そう、と。

それでも反省点をけっこう話していた人達もいましたが。笑

ネガティブ・フィードバックというよりもブレークスルー・フィードバック?

学期が終わりに近づいて来たこともあり、最近、フィードバックについてちょくちょく考えます。で、僕はネガティブ・フィードバックという表現も内容も好きじゃないので、何かもっといいのはないかな、と考えていました。

成長のためにはダメ出しが必要だというのはそう思います。しかし、うまくやらないと成功しないし、弊害もかなり大きいと思っています。弊害の代表例は、効率の悪い苦手克服にエネルギーを割きすぎて強みを伸ばせないし自信も失っていくとか。

と考えていてふと思ったのは「ネガティブ・フィードバック」よりも「ブレークスルー・フィードバック」と考えた方が良いのでは、ということです。

そのフィードバックを活かすとブレークスルーが起きて一段上に行けるようなダメ出しをしよう、と。フィードバックする方は「これクリアしたら一段上に行けると思う!」「まだまだこんなもんじゃないだろ!」とフィードバックするわけです。そうならないようなことだったら言わない方がいい。

受ける方は「ブレークスルーのためのフィードバックだ」と思って受け取れば、むしろワクワクしてくるのではないかと。先日までやっていた「下町ロケット」でもそうですよね。打開の糸口が見つからないで試行錯誤しているときは、「ここが問題だ!」(=ブレークスルーなネガティブ)と分かった瞬間、みんな狂喜乱舞してました。

という感じで、ポジティブ・フィードバックと組み合わせるのはネガティブ・フィードバックじゃなく、ブレークスルー・フィードバックじゃないかなあと、ちょっと試してみようと思います。

良い目標は「見えている景色を変えてしまう」その2

チームで何かをやっていると、人によってやる気に差が出てしまう、というのはありがちです。そんな時にも良い目標があると役立ちます。
 
それは「みんなが『それいいね!』と感じるようなエキサイティングな目標を設定する」ことと思われがちですが、実はもっと広く使える手があります。事例で見てみます。
 
先日ご案内した「立教経営学部1day Passport」(経営学部1年生360名が授業で学んだことを教えてしまうオープンキャンパス)、今でこそ2ヶ月前に定員の400名に達してしまうようになりました。でも、初めて行った2013年度には申込者がようやく1班に1人いる程度くらい少なすぎて、大学生が高校生役にまわらなければならない事態になりました。
 
しかしそれではせっかく高校生に教えようとがんばってきた受講生たち(大学生)のモチベーションがだだ下がりになってしまうとSAたちは心配していました。そこで次のように話そうと考えました。
 
「きみたちの役割はものすごく重要だ。参加する高校生達がリラックスして取り組めるように、きみらが行く班の大学生たちが本気で授業をできるようにするには、きみらの役割が欠かせない。つまりきみらはチームから外れるのではなく、より大きなチームの中で、共通の目標に向かっていく仲間だ。
 この初年度うまく行ったら、来年はもっと多くの高校生がきっとやってくる。きみらはパイオニアとしてものすごく重要な役割を担うんだよ。」
 
結果として、高校生役にまわった学生たちもその役割を全うしてくれました(立教生はこういう時、その気になると「なりきる」ことがとても上手です)。
 
チームの目標が「良い」ものとなるためには、それぞれのメンバーにとってそれが意味を持つ必要があります。ぱっと見ただけでその意味が分かるようなエキサイティングな目標を立てることも大事です。
 一方、上のケースのように「その人個人が果たす役割(=個人の目標)の意味づけをする」ことも、しばしば必要になります。それによってことで、その人に「見えている景色を変える」ことができます。ちょっと前に書いた「お母さんが家族を頼るようにする」という事例もそうでした。
おかげさまで今はこの立教経営学部1Day Passportも多くの高校生に参加してもらえるようになりました。一方、その様子を参観いただくことも可能です。詳細はこちらになります。興味のある方は、良かったらいらしてください。

良い目標は「見えている景色を変えてしまう」その1

きのうは「他者のリーダーシップ開発」のクラスで、上のような話をしました。「目標設定・共有」はリーダーシップ行動の最小三要素の一つと言われるほど大事なのですが、意外とぴんと来ている度合いが弱い、という問題意識を持っていたためです。

例えば(リーダーシップの例ではありませんが)、Aさんは美容と健康のために毎日ジョギングしよう、と思っています。でも、なかなか続かないし、けっこう苦痛。そこで何か目標が欲しいな、と考えました。

月間100キロ? タイムの短縮? それとも走れる距離を伸ばす? どれも目標ですけど、走るのが別に好きなわけではないAさんは、あまりそそられないなあ、と思いました。

ところがある日Aさんは、ホノルルマラソンに参加した人の体験談を読んで「自分も出たいな」と思い始めました。別に走ることが好きだったわけではないのに「42.195キロ走り切れたら、やりきれる自分に自信がつきそう」「応援とかあって、普段走れないところで走れておもしろいかも」「どうせハワイ行きたいし」。やってみようか!

そう決意すると、これまでやらなきゃと思いつつ、さぼってばかりいた毎日のジョギングが全然違って見えて来ました。苦痛だけどやらなきゃならないことではなく、ぜひたどりつきたいホノルルマラソンのゴールへの、重要なステップに見えて来たんです。

そう、「ホノルルマラソンに出る」という自分にとって魅力的な目標が出来た結果、「見えている景色が変わって来た」わけです。

「言われないとやらない、自分で考えない」脱却に不可欠なもの

大学とか教育とかに限らず、何かを絶対やって欲しい、と思うと、「やらないとまずいことになる」という手をとりがちです。「3回欠席すると落第」とか。笑

人間には弱さがありますから、こういう強制力も必要だろうとは思います。僕自身「やりたい仕事」であっても大変だと、期限が細かく設定されているからなんとかやっている、とか時々なります。ぶつくさ言いながらなんとかクリアしていって最後まで到達し、やっぱりやってよかったな、と思うという。笑

ただ、この方策の根底にある「人は強制されないとやらない」という考え方だけで走っていると、やがて壁にぶつかります。「言われないとやらない」「自分で考えない」。「だからなかなか成長しない」、、、

ムチだけでなくアメを出しても、一緒です。アメがなければやらない。アメの分しかやらない。楽してアメをもらう方法だけは考える。笑

そういう状況を超えて「おもしろいからやる」「それそのものに価値を感じるからやる」「大変でも、がんばると成長できるからやる」となって欲しいと思うのですが、そのためには、何が必要なのか?

「体験」は大事ですよね。「考えてハードルを乗り越えるのっておもしろいな!」と実際に体験する、「これは確かにやる価値がある」と思う、「がんばったから成長できたんだ」と実感する。なので、そうなるように僕らは授業を設計しようとします。

でも、その時に重要なのは「人は条件が整えば必ずそう感じられるものだ」と信じることじゃないかな、と最近特に思います。

信じていないとつい「やるべきことは全てやるしかない」ように細かく課題を作ってしまいがちです。でも、だいたいそういう課題は設問がずらっと並んでいるように見えて「そそられない」し、「片付けるべきもの」にしか見えなかったりします。

むしろたった1つ「今日の学びをともだちに自慢するとしたら何を?」とかスライドに出ていた方が、量は少なくともちょっと自分で考えたものが出て来るのではないでしょうか。

「そんなもん、何もなかったよ」となったとしたら、それは授業内容/伝え方を確認し直すべきなのかもしれません。笑

大学でどんなチカラが付くのか分かります

恒例になってきた立教経営学部1day Passport(18/1/12)。
定員400名ですが、もう残席わずかになって来たようです。

大学で本気で学びたいと思っている高校生には、ぜひ体験してもらえたらと思いますので、身近にいらしたらご紹介いただけましたら幸いです。

立教経営学部1day Passportでは、経営学部1年生たち360名が、秋学期の授業で学んだばかりの論理思考を高校生(公募)に教えます。

大学の授業が分かると同時に、大学(最初の1年)で、どんなチカラがつくのかが、目の前の大学生から分かります。

こだわる人を変えるにはこだわりを使う

論理思考・選択(BL3C)の授業では時々、各人の具体的なテーマを持ちこんで、みんなで考えます。そんな中で興味深いテーマが持ちこまれました。

ある受講生のお母さんは、最近、忙しすぎて、見ていて心配になるほどなのだそう。仕事での責任が大きくなってきたのが直接の原因ですが、母親(シングルマザー)として責任感が強く、家族に家事をやらせたがらないとのこと。そこで、どうしたら家族(子どもたち)を頼れるようにできるか?というのが今回の課題でした。

学生たちはまず「子どもたちが引き受けられるようになる」というのを考えていました。確かにそれは必要です。料理など出来ること、しかるべき時にできるように家にいること、そしてやる時間や快く引き受けられる気持ちの状態にあることなどですね。

ただ、肝心のお母さんが「頼ろう」という気持ちにならないと、十分な変化は起きません。しかし、お母さんにはこだわりがあるようで、そこを変えるのはなかなか難しそうです。そこでどうするか?

きのう話したのは、ここでこそ、論理思考の「目的を押さえる」考え方が使えるということでした。世の中的に言えば「こだわる人を変えるには、こだわりを使え」という感じです。お母さんは「家事は母親の役割!」と、こだわっているわけですが、その先には「それが家族の健康と幸せな日々につながる」という目的が考えられているはずです。また、それを守るのは母親のミッションである、と考えているのでしょう。

であるなら、ここを起点にお母さんの説得をすると良さそうです。例えば「お母さんが健康でいてくれてこそ、家族は幸せな日々を過ごせるので、そのために家族が家事を分担できるようにすることがこの状況ではお母さんの大事な任務では?」と話すわけです。また、子ども達の将来まで考えれば、あらゆる家事を出来るようになっておくことが、彼らの幸せな日々につながるので、そうできるように今から家事をいろいろやらせるのもお母さんの大事なミッションである、というアプローチもあります。

このように、相手がこだわっていることがある場合、それを否定し倒す説得ではなく、提案が実はこだわっていることの本質により合うものである、と説得する手があります。