飲み会や食事会では仲良くなれない人たちの場合は

SAたちと面談をしていた中で「うちのクラス、みんなまじめだし、けっこう論理思考はよく分かっているんですけど、受講生同士の関わりがまだ少ないんですよねえ」という相談がありました。こういう時、典型的には「懇親会やろう」というのが出て来ます。社会人なら「飲みに行こう!」ですね。

それが効くことも、もちろんあります。ただ、「まじめだけど関わり合いが苦手」な人達の場合、この手はあまり効かない恐れがあります。なぜならこの人達はえてして

   雑談が苦手

だからです(僕もその一人です笑)。まだあまり親しくない人と他愛もない話をしなきゃならないというと、ゆううつになります。じゃあ、そういう場合はどうするか?

そのSAたちにアドバイスをしたのは、
1)力を合わせる用事を作る
2)話すテーマを出してあげる
ことでした。

まじめでちゃんと考えられる人達の場合、力を合わせなければならない用事を作ると一生懸命やるので、それで関わっているうちにお互いに打ち解けてきます。
仲が良い → 一緒にがんばる ではなく、
一緒に頑張る → 仲が良くなる ということです。

とは言いながらそれだけだとしばらくは硬かったりするので、それぞれの想いやこだわりを共有する機会を作ると、打ち解けるスピードが加速します。こういう人達は思っていることがないから黙っているのではなく、それを共有する機会がないから黙っているだけです。「話してよ」と言われて「ここなら話してもちゃんと聞いてもらえそうだ」と感じられると、静かにしかし熱く、語ってくれたりします。そこまでつっこんだテーマではなくとも、少なくとも何を話すか提示されているだけでもかなり楽だし、お互いの距離が近づくようなテーマならベストです(例えば「最近はまっていること」とか)。

なので、「雰囲気がカタイ」→「飲み会、食事会」のワンパターンではなく、「このタイプの人たちには何が合っているか」考えてやろう、というのがSAたちへのアドバイスでした。

なお、懇親会をやる場合に「話すテーマを出す」ことともう一つのアドバイスは「席替えを早めにしよう」というものでした。テーマについて話しきった後、雑談をするのはまた苦手な人達なので。笑

使える論理思考にはテキトーさが不可欠

おとといの「論理思考とリーダーシップ」クラス@早稲田では、グループディスカッションがなかなかいい感じになっていました。特に良かったのが、「良い意味でのテキトーさ」が出て来たことです。

「論理的に考える」というとなんでもかんでも「厳密に考えなきゃ」「本質に掘り下げなきゃ」となってしまって、議論が先に進まなくなってしまうことがよくあります。とりわけ早稲田生のように、主張することを苦にしない人が多いところでは起きやすい笑。

しかし実戦では、これでは時間がかかり過ぎますし、議論が苦手な人は嫌になって離れていき、こちらは「理屈ばかりこねるうるさい奴」認定されてしまいます。

そこで、「だいたいでスタートする」「大事なところ以外はこだわらない」といった、良い意味でのテキトーさが必要になります。

ただし、全部テキトーになってしまっては、もう論理思考ではありません笑。そこで
・ざっくりした目的は押さえて忘れない
・今進むために必要な最低限を見極める
・本質に関わる違いは見逃さない
・必要を感じたら戻る心の準備を
というあたりを意識して行きます。

今回は20分という制限時間の中で、けっこういい成果を出してくれました。良い意味でのテキトーさと、大事なところはしっかり押さえる力と、さらには「分かりやすく伝える力」が備わってきている感じです。

同じ成果で「いい感じ!」と「まだまだです」では、どっちがいい?

今週はSAたちと中間面談をしています(30人!)。その中で「どう?」と聞くと、大きく分けて二つのタイプの答えが返って来ます。

一つは「楽しいです! 大変だけど、自分も成長できている感じがしますし、受講生も伸びていると感じるので」というタイプ。そしてもう一つは「なかなか難しいですね。思うように動けなくて」というタイプ。

では、この二つのタイプでやれているレベルが違うかというと、実は全然違いません。もちろん人によって違いはあるのですが、少なくともこの反応の分かれ方と仕事ぶりは、あまり関係ありません。あくまで、全員が元々モチベーションの高いメンバーだからという特殊事情はありますが。

どういうことかというと、前者の人達は加点方式、あるいは起こせた変化で物事を見ていて、前進していればポジティブに捉えています。一方、後者の人達は、減点方式、あるいは目標(=自分に科したハードル)に対してどうかで見ています。しかもそれが完璧主義に近いので、「これができていない、あれができていない」とネガティブに捉えがちです。前者の人も自分に科しているハードルはちゃんと持っているのですが、そこまで完璧主義ではありません。

で、僕は彼らに前者の考え方で行くことを勧めています。理由は二つあります。一つ目は、その方が楽しく、長くやれるから。「これがやれた、こんな前進をした、良かった! 次はこれに挑戦したいなあ!」という感じです(一部の修行僧のような人達は別として)。二つ目は、その方が周りの人を巻き込みやすいから。ストイックな人をみんな尊敬はしますが「自分には無理」となりがちです。加点方式の方が多くの人を巻き込めます。

だからといって高い目標に挑戦しないわけではありません。僕自身はけっこう無茶な目標をチームに提示する方だと思います。でも、それは100点を目指すのではなく、ワクワクするような無茶を70点の完成度で達成しよう!という感じです。またそういうふうにできた時に、いいプロジェクトになっている気がします。

あなたが好き、あなたがいてよかった

最近、いわゆるトップ校のとても優秀な学生たちにインパクト体験棚卸し(自分を作って来た体験の棚卸し)をやってもらって気がついたことがあります。それは、こういう人たちの中にも自己肯定感の低い人たちが、思っていた以上に多いこと。

自己肯定感が低いというと、能力面で「自分は負け組だから」とか「何もとりえがない」と思っているイメージがあると思います。また実際にそういう面はあると思います。偏差値偏重教育で来ていると、「勉強」が全てみたいに見えてしまうので、それで勝てない自分はダメだと。序列意識が強いと「一番じゃなきゃダメなんです!」となってしまって、世間的にはとても高い位置にいる人ですら自己肯定感が低いこともありえます。

しかし、自己肯定感に影響するのは能力だけではありません。人間関係面の自己肯定感もあります。「勉強はできるけれども、友だちづきあいは苦手」とか「誰かに愛される自信がない」とか。

優秀な人達の中にはけっこう、親から「厳しい」扱いを受けてきた人がいるように思います。「おまえはダメだ」「なぜおまえは…」と言われる時に感じるのは、能力面の否定というよりも「自分は親に愛されていないのでは?」という不安です。
彼らはまた、教師の想定を超えた行動・態度を取るために、教師からいじめられたり無視されることがあります。また同級生とも話が合わなくて、別にいじめられるわけではなくとも「自分と関わりたい人は誰もいない」と感じたりします。そしてだからこそ、自分が認められる勉強の世界にのめり込んで結果を出す人たちもいます。今回もその戦いの歴史をかいま見て、なんとも言えない気分になりました。

もちろん優秀な人たちみんながそうだというわけではありません。上のような人たちはたぶん少数派です。ただ、思っていたよりいそうなことを今回感じました。

だからなんだ、というのはまだ難しいところです。「それでもその人達は優秀なんだから恵まれているよ」という声があるとしたら、能力面も人間関係面も自己肯定感を持てない人に比べたら確かにそうです。でも、能力がどうであろうが、誰かが「あなたが好き」とか「あなたがいてよかった」と思っていることは、人にとって非常に大事なことだし、そう感じられる人が増えていくように社会を動かして行きたいとは思います。

指示するのは「何をやるか」よりも「何のために」やるか

全然こちらに書けていませんが、今年も「論理思考とリーダーシップ」(BL1 – 経営学部の9割以上の1年生が受講)がいい感じで進んできています。

今日は年明け1月6日に開催される「高校生BL1」(対外的には「立教経営学部1day Passport」の準備キックオフでした。これまで学んで来た論理思考を、全受講生が84班に分かれて、公募された高校生に教える、その教材から全部自分たちで作るというプロジェクトです。

キックオフに向けては例によってSAたちが入念に準備を行ってくれました。例えば受講生の気持ちを高めると共に趣旨を伝えるための3分ほどのムービーを作ってくれたり(僕には逆立ちしてもできない素晴らしい出来です)、各班のメンバーがぎゅっときょりをちぢめるためのアイスブレークを考えてくれたり、それぞれのクラスで自分のストーリーとメッセージを語って受講生に伝えてくれたり。画像のスライドもSAが作ってくれました。

で。そこに持ってくるために僕から指示しているのは、「何をやって欲しいか」ではなく、「何のためにやるか」、つまり狙いです。例えばアイスブレークなら
・班の中が一気に打ち解ける
・お互いのことを理解する第一歩になる
・その人のリーダーシップ目標も押さえる
という狙いを指示していました。

この「狙いだけ指示する」ことのメリットは絶大です。僕が自分でやる以上のものが出て来ますし(繰り返すけどムービーなど逆立ちしても無理)、SAたちは目的を押さえて物事を考えるように鍛えられます。そして全体を貫く考え方が徐々にSAたちの中に浸透して行きますし、ジブンゴト感も高まって行きます。

そんなことを経て、いよいよ高校生BL1がキックオフされました。受講生のエンジンもしっかりかかったよう。今年はどんな展開が待っているのか、楽しみです(これがまた一筋縄では行かない笑)。

なお、高校生BL1(立教経営学部 1Day Passport)のご案内はこちらです。

「大学では、意義の大きい時間を思い切り過ごしたい」という人なら、理系でも国公立志望でも一つの比較対象としてきっと参考になると思います。興味のありそうな高校生をご存知でしたら、ぜひご紹介ください。

今年は例年以上のペースで申し込みが集まっているとのこと。定員に達し次第締め切りとなってしまいますので、早めのお申し込みが良さそうです。

オフザボールの動き – チームを強くしたければ個人のトレーニングをメインに!?

僕はラグビーはあまり知らないのですが、先日中竹竜二さんからインタビューを受けてちょっと興味を持ったので、読んでみた記事がおもしろかったです。

にわかラグビーファン、U20日本代表ヘッドコーチに会う。糸井重里×中竹竜二

特に「オフザボールの気づき」という部分がツボでした。ボールのないところにいる人達の動きが大事だという話です。

これは言ってみれば「メカニズム全体を見渡しながら」「先を考える」ということでしょう。ボールのあるところは「局地」であり「今」ですが、大事なのは「先」であり、そのための「全体」です。それを見て「意図を持って動け」ということはあらゆることに通じるよなあと思いました。あと、記事にあった

「チームプレイが重視されているように見えますが、これがおもしろいことに、
トップチームの指導プランや戦略を見ていくと、
圧倒的に個人のトレーニングが多いんですよ。
チーム全体の練習は全体の10分の1もなくて、
たぶん、20分の1ぐらいじゃないですかね。」

というのもツボでした。これもある意味、「オフザボールの動き」ですね(オフザチームの動き)。
リーダーシップ開発や組織開発というとグループワークしかないと思っている人がけっこういますが、個の力と戦略眼を高めなければ結局大した結果は出せません。もっとも、個人のトレーニングの時にも集団にどう活かすかを考えながらトレーニングするのですけど(でないと自分「ならでは」のリーダーシップなんて出せない)。

リーダーシップ開発懐疑派も納得させる三つの副産物

先日、今、執筆中の本のため、都立駒場高校の木村 裕美先生を取材させていただく機会があり、なかなか興味深いお話を聞けました(木村先生が家庭科の授業の中でリーダーシップ開発に取り組まれている様子はこちらの記事でよく分かります)。
一言で言うと「リーダーシップ開発は高校生にとって一石二鳥、一石三鳥である」ということです。
 
一つには、生徒達がアイデンティティを確立していくよい機会にもなる、ということです。リーダーシップ開発をやると、振り返りの中でクラスメートなどから自分の行動についてフィードバックを受けます。これにより自分の強みなどが分かってくるが、そういう機会は他になかなかない、という話でした。
 
二つ目には、主体性発揮の「リハビリ」になる、ということが上がって来ました。小学校に入るくらいまで子どもは「これをやりたい!」という主体性を持っていますが、小学校、中学校ではむしろそれを押さえて枠に沿って動くことを求められています。それが高校に入って急に「主体性を持って動くように」と言われるのですが、もう動けません。そこでリーダーシップ開発が「主体性を発揮する」感覚を思い出すリハビリになる、というわけです。
 
三つ目は、リーダーシップ開発において合意形成を学ぶ際、ロジカルに考えることや伝えることの重要性に気がつく、ということです。これはガチで合意形成に取り組んでこその成果ですが(なんとなく決めたり多数決に逃げるとそうならない)。
 
この3点はリーダーシップ発揮のためにも大事なことなので副産物というよりリーダーシップ開発そのものとも言えるのですが「こういう副産物がありますよ」という言い方をするのはそれはそれで意味があると思います。
 
それは「この子達にはリーダーシップとか(まだ)いらないんじゃないの?」とか「リーダーシップなんて本当に伸ばせるの?」と言う人たちにも、こういうことならば必要だね、と言ってもらえる可能性が上がることです。

部下や学生の積極性を高めるには?

先日、子どもたちが見ている「すイエんサー」(Eテレ)にちょっと興味を感じて見てみたら、ちょうど「お、いいねえ!」と感じることがありました。
 
この日のテーマは「ドッジボール」。自分も小学生の時に大好きだった記憶がありますが、番組に出て来た女の子達はボールが目の前に転がってきてもスルー。あるいは他の人に手渡しして投げてもらっています。とても消極的なオーラを放っています。彼女たちがボールを投げないのは、投げても全然ボールが飛ばないから。相手に当てるなんて、とても無理でわざわざ敵にプレゼントしているようなもの。それは逃げたくなるでしょう。
 
そこで始まったのが、ばしばし投げるための特訓。ただしスパルタトレーニングが行われるのではなく、二つのコツを教えられて、その通り練習するというだけの特別訓練です。
 
しかし、一つ目のコツでまず飛距離がぐーんと伸び、二つ目のコツで定まらなかったコントロールがびしっと決まってかつボールの勢いも増しました。そして実際の試合に臨んでも、その成果がしっかり出て来ます。そして、彼女たちの表情や姿勢が全然違う。自信を持ってうれしそうにボールを投げています。見ていてこちらまでうれしくなってしまいました。^^
 
そこで標題のことを改めて思ったのでした。積極性を高める一つのとても有効な方策は「やれる」ようになることです。やれないことにはどうしても人は消極的になってしまいますが、特にできなかったことができるようになった後は、とても積極的になるのではないでしょうか。
 
「そんなの当たり前だよ!」と言う人もいるかもしれませんが、意外とこのことは理解されていません。多くのマネジャー達が自分の部下のことを「積極性が足りない」と愚痴っています。教員も同じようなことがあるかも。しかも、相手ができないことについてただ「やれ!がんばれ!」と言っているだけかも? 「そのくらいのことはもうできないと」と思うことでも、「やらない」のではなく「やれない」のだ、ということは非常によくあります。
 
そこで必要なのは、彼らのレベルに合ったコツや踏み台です。それを提示するには、こちらがそのこと(上ならドッジボールの投げ方)と、相手の課題をちゃんと分かっている必要があります。
 
すイエんサー「バシバシ投げるぞ!ドッジボール」は9月16日(土)10:00amに再放送があるようです。見ているだけでちょっとうれしくなれるかも。^^

「教える」より「考えたくさせる」

いよいよ秋学期が近づいて来て、きのうはSAたちにプレゼン研修でした。BLPの授業ではSAたちが授業を進めることが多いので、重要なところになります。
 
それぞれに5分ずつ実際にやってみてもらいフィードバックをし合った後で話したのは次の3つのことでした。
 
★1.「理解」よりも「モチベ」を高める
説明して分かってもらおうとしても一度じゃ分からないし、レクチャーを聞いているうちに思考停止してしまう。なんとなくイメージがつかめれば、あとは自分でつかんでいく方が本当の学びになるので、「それ、できるようになりたい!」「がっつり取り組むぞ」とモチベーションを高めることが目標。
 
★2.「教える」より「考えたくさせる」
「考えるってこんな感じか!疲れるけど本質に迫っている感じがする!」となることが狙い。例えば「リーダーシップって何?」という質問も、リーダーシップ三要素とか言ってもらうことが目的ではなく、自分で考えること、考えたくなることが大事。
 
★3.「レクチャー」よりも「対話」
「レクチャー」ではなく、「対話」をするように授業を展開して欲しい。受講生が発言することもそうだけど、アイコンタクトやうなずきも含めてキャッチボールになっていくようにする。
 
簡単ではないですが、具体例も示しつつ「あっちじゃなく、こっち!」で行こうとしています^^。

必要なのは刷新?それとも改良?

唐突な質問ですが、現状を変えようという時、刷新、つまりこれまでやっていたことをやめて全く新しいことをやるべき時と、今のものを改良していくべき時と、どちらが多いと感じますか?
 
「それは状況によって違うでしょう」と言われればその通りなのですが笑、最近このことについて僕が感じているのは、刷新よりも改良に取り組むべき時がけっこう多いということです。少なくとも「刷新をするべきだ」と言われている時に「必要なのは改良では」と思うことが、その逆よりもずっと多いと感じています。
 
と言うだけだと感覚的な感じがしますが、自分ではそれなりに自信を持っている訳があります。それはまずこれらについて「方向としては正しい」とロジック的には考えられること。そして、二つ目に、やり方にまだ「改良の余地がある」と考えられることからです。
 
例えば先日ここで取り上げた「自由研究」。これを「やめてしまうべきだ」とか「全く新しいものに変えるべきだ」という声がすごく高まっているわけではありませんが、あたかも自由研究そのものが役立たずとか、ムダのように思われている節がありませんか。
 
しかし、探求するテーマを自分で見つけて行くことはぜひやっておきたいことですし、他になかなかやる機会はないのでは? また用意された正解を当てるのではなく自分で仮説を立てて答えを見つけ出すトレーニングも同様です。
 
でも、現状のやり方に問題があって、これらが結局あまり行えていないのも確かです。こういうケースで問題は主に二つのところにありそうです。一つは、やり方のガイドが足りないために狙いとしているところまでたどりつけないこと。もう一つは、本気で取り組ませるための工夫が足りないために「魂が入っていない」こと。逆に言えば、この二つを組み込めば良い、ということです。
 
この二つは自由研究にも当てはまりそうですが、当てはまるのは自由研究だけではありません。例えば僕らはこの秋からのクラスで「リーダーシップ目標」の活用について、この二つを強化しようとしています。リーダーシップ開発において、目標は非常に大きな意味を持つと考えていますが、まだ魂の入った目標を立てられていない学生や、活用し切れていない学生がそこそこいると考えています。そこで形だけの目標で放置するのでも、「形だけになってしまうのでやめてしまって他のことに力を注ごう」とするのでもなく、活用できるようにする方法、魂の入った目標を立てられるようにする方法を探ってみようと考えています。
 
ということで記事を終わりにしようと思ったら、一つ大事なことを忘れていました。そもそもなぜこんなことにこだわるかというと、刷新とか新たな手を考えようという一見良さげな方向が、実は問題の本質を詰めない単なる逃げであったり、本質的な解からむしろ遠ざかる後退であったりする恐れが結構あるからです。
 
さて、今、自分の前にある問題が必要としているのは、刷新でしょうか?それとも改良でしょうか?